潮汐

    雨が降ってきたよ、と空を指差し、目線で合図を送ってくれた。浜辺で大型犬を散歩させていたその人は、海岸線に沿って建つ西湘バイパスの橋梁の下を指差した。あそこで雨宿りしましょう。

    十五年ほど前の台風で西湘バイパスが崩落、砂浜が消失した海岸。のちに埋め立てられた人工砂浜からその海を眺めると、そこが相模湾だということを一時的に忘れ、波が高いときには外海の南房総のように思えてくる。台風の高波はその後も重なり、砂浜の一部は今も立入禁止のロープが張られていた。人工砂浜は養浜中で、その足元は柔らかい。
「そうなのよ」
    橋梁の下でその人は頷いた。ぶるぶると体を震わせた犬は行儀よくその人の足元に座った。雨に濡れた犬の背中を撫でながらその人は言った。
「この裏にプールがあるけど、昔はね、海水浴場があってみんな海で泳いでた。台風の前はこの子を連れて大磯まで砂浜を歩いて行けたんだけど」

    幼少の頃、四国の高松出身の父は鎌倉の由比ヶ浜に連れていってくれた。潮風に乗って運ばれてくるようなその波を指差しながら父は言った。
「湘南の海は、波が引かないんだ」
    湖のように穏やかな瀬戸内海を見て育った父がそう言うのを信じたからか、湘南の波はサッと砂浜に吸収されていくように幼い僕の眼にも映った。
    今、湘南や西湘の海を眺めると、波に削られた砂浜には傾斜がつき、その波は砂を持ち帰るように確実に引いていく。

「ほら、月(あれ)が見えるか?」とピューが言った。「海があれを感じるように、わしもあれを感じるんだ。海をひっぱるように、あれがわしの体をひっぱる。それで嵐が近いのがわかるんだ」/『灯台守の話』ジャネット・ウィンターソン 岸本佐知子 訳